■旅行記 インドネシア編 012 列車事故に遭いました(無事です)■
2007/5/18
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えーと、今日は世界の車窓から〜ジャワ島編〜をお送りする予定だったんですけど。
ちょっと予定を変更して災害現場よりお伝えしたいと思います。
いきなり事故の話をするのもあれなので、まずは当日朝から振り返ってみます。
当日は朝8時発の列車に乗る予定だったのですが、朝6時45分から7時10分まで通りでタクシーを待っていたのに一向に通らず、朝からかなり焦ってました。
結局ちょっと大きなホテルそばまでベチャ(インドネシアの人力車)で行って、そこからはタクシーで行きました。
まぁ後から思えばここで乗り逃がしといた方が幸せだったんですけど。
列車に辿り着いたのは発車15分前でした。
隣の席の人は、窓際の自分の席を譲ってくれました。わー、なんて親切なんだ。
と思いきやただ単にその人が私の席に座っていただけだとチケットを見て気づきました。
8時。
定刻きっかりに発車します。
30分くらい平気で遅れるのかと思ってましたのでちょっと意外でした。
車窓からはずっと田んぼが続きます。ちょっと日本の光景と似てる。
違うところは田植え中、成長中、刈り入れ後のお米が混在していること。さすが年に3回もお米が取れるだけある。
水を張った田んぼ
青々と茂る田んぼ
刈り入れ直後の田んぼ
面白いのは駅に止まるたびに物売りの人が入ってくること。
バナナ、ご飯、ゆで卵、コーヒー、デザート、お菓子、本、おもちゃ、タオル、品物は多種多様です。
面白いのは品物を全員に投げてよこすこと。
それで試してもらって、気に入った人は買って、気に入らなかった人は返すのです。
万引きされるかもとか思わないのかしら。信用商売ですねー。
最初の物売りさん…というかパフォーマーさんはインドネシアのおかまさん。歌を歌いながらお金をもらっています。
インドネシアではおかまさんのことをバンジーというそうです。
お金をあげたけど、照れて写真は撮らせてくれませんでした。
2人組だったのですが、もう一人はフランケンシュタインのようでした。
車内販売ではなんとステーキも!すごいでしょ。
メニューを持って注文を取りに来た人が居たので、お昼ご飯にはナシゴレンを頼みました。
でもなぜか1時間以上待っても持ってきてくれなかったので聞くと私が何時に食べたいか言ってないから遅いのだという…。
日本では頼んだ時=食べたい時なのですが。
このへんのシステムは良く分かりませんでした。
あんま美味しくなかった。
バナナも買ったよ。自然に完熟させたからか美味しかった。
車内では、隣のおじいさんがちょっと英語が話せる人だったので色々話してました。
日本語で話し掛けてきた別の人は日本軍侵略時代のせいで日本語が話せると仰っていて申し訳なく思ったり。
(でもその方の帽子にはピカチューが。)
あとは日本と世界の格差について書いた統計本を読んだりして。
シエラレオネでは6人に1人が1回の出産で母親が死ぬんだって!ひー、なんて格差。
そうこうしているうちに時刻は3時過ぎ。
ジャカルタ到着が5時前なので、もうあとちょっとかー。
世界の車窓から(この後に惨事)
…と。
どぉぉぉん!と大きな音がしたかと思うと、気が付けば前の座席にいました。(というかへばりついた、というか落ち込んだ、というか、うまい言葉が思いつかない)
車内に立ち込める煙や悲鳴。
周りを見渡せば椅子が瓦解してる。
私が座っていた椅子
床に散乱した荷物。
窓を5センチ程度開けていただけなのに泥まみれ。
最初は何が起こったのか分からなかったのですが、まず思いついたのはテロ。
ここはイスラム圏だからテロはないと思ってたのに。
列車がこんなにぐちゃぐちゃになるほどだから、これは爆発?
では私は何をすべきなんだろう。
降りる?このまま?
テロなら次の爆発があるかも、でも降りたら別のテロリストがいるかも。
別の車両の人は次々と降りていっている。
そして何か叫んでいる人も居る。状況を伝えているのかも?でもインドネシア語なので分からない。
「何が起こったんですか?」
と隣に居た人に聞いてみる。
すると、別の列車がこの列車にクラッシュしたらしい、と教えてくれました。
何をすべきですか?と聞くと「待ってることだ」、といいます。
まずはテロじゃなくて安心しました。
でも5分ほど待ってみたのですが何も変わりません。
どうすべきか自分で考えないと。
追突ならば、このまま線路上に留まっている限り後続の列車に追突されるのでは、と思いました。
外に出たほうがいい。
でも荷物はどうしよう、さすがにこの災害時に大荷物を持って機敏に行動は出来ない。
仕方ない、盗まれてもいいや。
一応隣に座っていた人に荷物を見ていてくれるように頼み、貴重品だけを持って車内奥の扉から外の様子を伺いました。
既にたくさんの人でごったがえしていました。
地元の人も多い。
思ったより列車から地面までの高さがあって怖かったのですが、勇気を出して列車から飛び降りました。
後方に行ってみると、人垣の中心に衝突した2台の列車が。
白い列車が私の列車、赤い列車が追突してきた列車です。
グチャッとなってしまってます。
この状態と、周りの人の情報を総合すると、どうも一時停止していた私の列車に後続の列車が不注意で追突してしまったようです。
居眠りかよそ見か…。
勘弁してください。
にしてもこれ日本ならトップニュースだと思います…。
残してきた荷物も心配だったので車内に戻りたかったのですが、私の体力では荷物を持って、かなりの段差がある列車に飛び乗ったり飛び降りたりが出来ません。
それに更に後続の列車などによる追突の心配もなくなった訳ではないので、せめて後続の列車が無事に通過することを確認するまでは戻れません。
という訳でその場で留まることにしました。
じっとしているのもなんなので、そこで情報交換をすべくバックパッカーっぽい人に話し掛けてみました。
その友達が私の荷物を列車内から出してきてくれ、1時間後に後続の列車に乗れることになった時には持って入ってくれました。
後続の列車には、多分全員が乗れたわけではなかったっぽいのでラッキーでした。
その友達が段差に困っていた私を人ごみの中から引っ張りあげてくれました。
私一人では列車に飛び乗ったりは出来なかった。
なんとか席に着いて、やっとドキドキがましになりました。
「インドネシアではこんなこと良くあるの?」
「いやないよ、アンラッキーだったね。」
とのこと。
…背骨を折ったことといい、私は事故に遭うべく生まれついたのかなぁ…。
考えたら私はラッキーでした。
事故に遭ったこと自体はもちろんアンラッキーでしたけど。
私は後ろから3番目の列車に乗っていたのですが、一番後ろの列車では怪我人も出たようです。
一番後ろなら私も怪我は免れなかったでしょう。
そして、窓際の席であったこと。
通路側だと、手荷物棚から様々な荷物が落ちてきて危険な状態でした。
あと、背中が痛むのでテンピュールのクッションを使っていたことと、目の前にはバックパックがあったことの2つの効果で衝撃を緩衝してくれたこと。
色んな要素があって、無事に済みました。ラッキーでした。
ちょっと背中が痛むとか頭が痛いとかはあるけど、外傷もなく、まずは一安心です。
…でもほんとにびっくりしました。
そして一人で不安だった。誰かが助けてくれないと後続の列車に無事に乗れたかも分からない。
ちなみに助けてくれた人は農業を営む音楽好きの25歳男性でした。
日本の漫画やアニメが好きらしく、私より詳しかったです。
ジャカルタに着くまでの2時間半、ずーっとアニメの話をしてはりました。
もしかして、日本人に好感を持ってくださってるのはアニメ効果でしたか?
会話の中ではのだめカンタービレのプリごろ太は本当にあるのかい?と聞かれたりしてました。
なんで私事故後なのにこんなのんびりした会話してるんだ。
違和感を持ったまま、列車は走り続けます。
事故後の夕日。綺麗でした。
5時に着くはずだった列車は、夜7時半にようやくジャカルタに着きました。
周りは真っ暗。
せっかく夕方に着く列車を選んだのにもう夜だしジャカルタは怖いって聞いてるしもうヤダ、と思っていたところ、例のアニメの人がタクシーを拾ってくれました。
ああ…ありがとうございます…。
無事にジャカルタの宿に着き、今こうやって日記が書けています。
よかった…怖かった…。
結論:インドネシアで列車に乗るのは止めましょう。
明日はのんびりします。
そして早くシンガポール行きます。
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